【あんスタ】≪1.5部夢ノ咲編まとめ③≫各章読解~第2章『グランドスラム』~

※この記事は2023年3月12日時点で書いた内容をそのまま転載したものです。その後の実際のストーリー展開等は踏まえられていません。

第二章『グランドスラム

📝 ≪ポイント≫グランドスラム

  • 配られた手札で勝つための各々の「勝利条件」
  • 普通と落ちこぼれ、「認識」の功罪と先へ踏み込むこと
  • いよいよ繋がる土着信仰/七不思議と『アイドル』

■章題考察:配られた手札で勝つための勝利条件

ルール参考:https://www.jcbl.or.jp/Portals/0/pdf/fukyu/tools/play-bridge.pdf

 グランドスラム=『コントラクトブリッジ(以下、ブリッジ)』における(超簡潔にまとめると)「完全勝利」のこと。ブリッジとの関連性で考えていきます。

①2者協力プレイ

 ブリッジは2対2に分かれて4人で行うゲーム。古式体育祭も「四大事務所対抗戦」でスタートしながら中盤以降はリズリン・コズプロ連合が発生。形式としては三つ巴になるのであくまでペア戦のブリッジとはずれてきてしまいますが、ブリッジもオークションが終わってカードを出し合う段階になると一人はダミーとなってゲームに直接的には関われなくなるので、その部分を「連合によって大将から下ろされるゆうた(表向きはひなた)」でなぞらえているのかも?(4組で競っていた初日段階がオークションなのだとすると、リズリンがディクレアラーというのはあまりしっくりきませんが……今話の中心人物という意味では友也がディクレアラーと言えるのかも?)

 

②各々の勝利条件

 ブリッジの特徴として、オークションによって「自分たちは『何を切り札にして、何トリック取って勝つ』か」を取り決め(コントラクト)していくという点があげられます。作中では『古式体育祭』を舞台にそれぞれの思惑が交差して、単純な競技の勝ち負けの問題ではなくなっていきます。以下はその例です。

  • スタプロ組(藍良、真):競技の勝敗よりも楽しんだもの勝ち。アイドルとして価値のある勝利。
  • コズプロ組(主に茨):勝てば良かろう。夢ノ咲×ESの中で存在感を示す。
  • Switch:体育祭を楽しい催しとして終えることで「誰も取りこぼさず皆幸せ」を実現しつつ、上層部にも影響力を持つきっかけとする(Switchはさらに三者三様の思惑も)。
  • ひつぎ:禁忌を探り、真実に迫ろうとしている(NEGIはまた別で動いている)。

 特に、わかりやすく「楽しんだもの勝ち」を宣言したスタプロ組にコントラクト要素を感じます。加えて、作中の最終競技『グランドスラム』も、「誰がどれくらいの距離を走るか」など詳細なルールは競技者に委ねられているあたりがコントラクトのオークションっぽいです。

 四大事務所対抗戦の形式は明らかに不平等です。配られた手札の強さはもちろん、枚数すら違います。これは個人単位でもあてはまることで、今回のメインである宙、友也、藍良はそれぞれ『特別』『普通』『劣等生』の側面が色濃く描かれますし、暗躍しようとする夏目も今はまだES上層部と渡り合うための手札を集めている段階という印象です。しかし、勝利の形をコントラクトによって決めるブリッジであれば、立ち回り次第で弱い手札でも勝利できます。配られた手札が平等ではない中で、その手札を使ってどんな勝利を目指していくのか。各々の思惑が入り乱れる様は読みごたえがありました。

■テーマ読解:「認識」の功罪とその先へ踏み込むこと

 グランドスラムのイベントタイトルは『激闘夢ノ咲/存在示す体育祭!』。今回のテーマの一つは「認識」だと思います。セブンブリッジでこれまで見えてこなかった存在や問題が認識されるようになった、その次にあぶり出されるものは何か。各所に現れた「認識」の話題を整理してみます。

 まずは冒頭部分(学校の怪談2話)。『血を吐くケダモノ』の話題に対して、藍良は「身近な話だからこそ、自分の身に降りかかりそうで怖い」と反応します。どこか遠い世界のことではなく、「自分の世界」にもあり得そうだと認識してしまうから怖い。これまで見えなかったからこそ問題とされてこなかった女性アイドルや地下アイドルたちも、この世界にいるのだと認識されたことで、ES上層部が脅威を感じて積極的に排除しようとしてきます(NEGI、血を吐く獣9話)。ES上層部が『古式体育祭』の儀式にすがろうとしたように(そしてそれをSwitchが利用しようとしたように)、脅威や怪異が実在するか否かは重要ではなく、未知の領域を認識し「そこに隠された何か」に恐怖を抱いてしまったことそのものが問題なのです(青の鎮魂歌9話、エピローグ①)。

 しかし、未知のその先へ「認識」を進めることによって、恐怖は形を変えていきます。NEGIら地下アイドルの置かれている状況に対して怒りを抱いてくれる人たちの存在などがその証です。ひつぎは七不思議の先の真実を、戦う武器にしようとしています。

 この「認識」とその先の話は友也と藍良の掘り下げの中でも描かれました。わかりやすいのは友也です(エピローグ④)。

 友也は「普通」の人生を歩んできた自覚があって、ズ!メインスト1部の紅月戦の舞台までは、成功も知らない代わりに挫折も知りませんでした。紅月戦で友也が認識したのは「無視されることのキツさ」です。まるで存在しないかのように、世界から認識されない痛み。しかしそこで友也は立ち止まらずに、同じ痛みを誰にも味わわせたくないと心に刻み、普通が故に認識しやすい皆の個性を素晴らしいものだと世界に掲げていくのです。エピローグ④の友也の語りが一文字一句全部好きです。友也にとっては皆より遅れがちな創や藍良も、逆にどこまでも突き抜けていってしまいそうな光や渉も、そのほかのアイドルみんな全部まとめて世界に掲げたい「すごいやつら」で、しかもそこでも足踏みせずに「自分も“それ”になりたい」と踏み込んでいく。サンクチュアリあたりと一緒に読むと一層かみしめたくなるシーンです。

 対する藍良は「すごいやつら」と自分の間に線引きをしてしまいがちなタイプです。「普通(ニュートラル)」ではなく「劣等生(マイナス)」スタートなのが友也との違いで、周囲のすごさと自分の無力さを認識すればするほど「すごいやつら」との間の壁を高く分厚いものにしてしまっていました。そんな藍良は陸の部第一競技『ライフイズビューティフル』でも「アイドルとしては失格」と思いながら落伍者の人生を「身の丈に合った選択」として選びますが、友也の話を聞いた後の最終競技『グランドスラム』では、やはり「ちょっぴりだけ走る」と身の丈に合わせた選択をしながらも、その選択の理由はチームメイトの「嫌な部分/すごい部分」を認識した上で、さらに踏み込んで勝利を本気で狙うための戦略的なものでした。あくまで身の丈にあった距離を走るあたりにはALKALOIDっぽさも感じます。

 あんさんぶるスターズにおける凡人たちについてはもっと色々と整理したいことが多いので、また別の場所で書けたら……と思います。

 「認識されない」=「無視される」の話題については、宙がゆうたへの『悪いもの』の影響について心配するあたり(青の鎮魂歌8話)にもかかっていそうです。ゆうたの怒りは『悪いもの』に増幅されて……というものではなく彼自身のものとして描かれているという認識ですが、このあたりのバランスは色彩百花の光とも通じる絶妙さを感じます。サンドストームの前日譚としても踏まえておきたい部分です。

■テーマ読解:いよいよ繋がる土着信仰と『アイドル』

 セブンブリッジから続く土着信仰の話題とアイドルの接続も、グランドスラムで起承転結の承を迎えます。古式体育祭の開催によって、示唆されるだけだった海の民関連の話題とES上層部の関連が明確になっただけでなく、『地球の鎮魂歌』の話題とあわせて現代を生きるアイドル達とも直接的に繋がりました。「諸説ある」としながらも地下の民(礼瀬)と海の民(深海)の関連付けにはっきり言及するのもここ。

 『悪いもの』を鎮めるための儀式が実はアイドル的なものである、ということ自体は、篝火の、颯馬が奏汰の歌を聴いたシーンなどで示されてきたことです。ズ!!になってからもサブマリンなどで同じ話題は繰り返されてきましたが、そもそも土着信仰系の話題に関わっていたメンバーが少なかったのもあって、その認識の範囲は限定的でした。しかし、今回はひつぎが多数を巻き込んだために関係者が増え、禁忌は拡散、認識されていきます。

 ひつぎは巻き込んでしまったことに対して「ボクがボクだけでやるべきこと」(青の鎮魂歌9話)だったと反省を示していますが、それを聞いた宙はその場では三点リーダーでとどめつつも、手を回してサブリミナル的に情報を拡散する手法をとり、さらにそれを友也に話します。ここで友也に話す理由が、先述の「すごいものを世界中に見せびらかしたい」という友也のアイドルとしての動機が宙の憧れの魔法使い像とも繋がるところも好きです。この、「ボクだけでやるべき」への対処は、夏目が「ソラを『悪い魔法使い』にはできない」として真意全ては語らなかったことへの応答にもなっていると思います。頼まれなくても、むしろ遠ざけられたとしても、ひつぎ自身が宙に言ったように、知るべきかそうでないかも「誰かに決められることじゃなくないですか?」(青の鎮魂歌7話)なので、宙は宙自身の意思でもって踏み込んでいくのです。

 最終競技の実況に呼ばれたのは敬人と零。それぞれの思惑を覗かせまくっていたこれまでの実況組とは打って変わって、リズリン組の二人は「余計な茶々は無視して笑い飛ばして進んでいけ」「おぬしらが望むままに生きるがよい」と在校生を見守ります。クロスロードなどを歩んできた二人だからこその姿勢が嬉しいですし、本当に綺麗にまとめてくれたなと感じました。